勢いで立ち上げたこのブログでは、読まれる努力をするのをやめた。
一応読者は想定しているし、文章は人に伝わるクオリティーを保つよう心がけているが、キーワードを狙って記事を書くことも、SEOを意識することもしない。
最悪誰の目に触れなくても、頭を使って文章を考える作業ができれば、それで満足だ。
共有される必要もないので、邪魔だったシェアボタンは削除してしまった。
期待を捨てればブログは自由
これまで運営してきたブログでは、表面上は自由を装っていたが、心のどこかではいつも収益やアクセス数が気になっていて、息苦しさを感じていた。
Googleのアルゴリズムは、品質の低い記事をアップすると、目ざとく察知して、すぐ検索順位を下げてくる。
書きたい記事を思いついても、検索流入が減るのを恐れて踏みとどまることもあった。
一方、この新ブログでは、収益もPV数も全く期待をしていないので、どんなに馬鹿らしいテーマでも記事が書ける。
とりとめのない「日記ブログ」だろうが、時事ネタだろうが問題ない。
初心者向けのブログ本で避けるよう注意される「時候のあいさつ」だって、好きなだけやっていい。
ルールを決めるのは、書き手である自分。ある意味、これがブログの本来の姿だという気がする。
近ごろは、ブログに広告を貼ってい収益化するのは当然の行為で、最初から読み手のニーズに沿った記事を考えるのが常識になってしまった。
「人の気持ちを想像する」といえば聞こえはいいが、果たして、自分を軸から外した言葉に何の意味があるのだろうか?
発信の前提から他者を排除することで、ようやく自身の手に主導権を取り戻せる。
「読まれる」ことを放棄したブログは、僕にとって自由の象徴である。
……とはいっても、誰かが見てくれたらそれはそれでうれしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとう!