小川洋子さんの『密やかな結晶』を読んだ。この物語では、主人公の住む島で、度々「消滅」という現象が起きる。
「消滅」の対象になったものは、手で触れても、匂いをかいでも、懐かしさやぬくもりを感じられなくなり、それがどんな役割を果たしていたのか、機能や用途もわからなくなる。島からは、香水、鳥、バラ、カレンダーなどが、ひとつずつ、ある日突然消えていく。
面白いのは、「消滅」が起こっても、対象それ自体が跡形もなく消え去るわけではない点だ。物質としては確かに存在するし、見たり触ったりはできるのに、そこからは何も感じ取れない。
つまり、ものを捉える、扱う側の人々の心の中でだけ、空洞が発生する。(後半、体の一部が消滅しだすと、少し話が変わってくるけれど)
また、「消滅」の影響を受けない人もおり、その人はいつまでも対象に関する記憶や瑞々しい感覚を保持できる。大勢の人々にとって価値がなくなったものでも、ごく少数の人々には大切な存在であり続けるのだ。
「消滅」する世界の中で
『密やかな結晶』で描かれる「消滅」は、現実の世界でも起きているのではないかと思う。(ここから書くことは著者との意図とはズレるかもしれない)
物語に出てくる島と異なるのは、何がいつ消滅するのか、対象もタイミングも人それぞれバラバラであるところだ。
たとえば、僕には昔、毎週楽しみにしているアニメやドラマがたくさんあったが、今ではその曜日が来るのが待ち遠しくなるような番組はなくなってしまった。画面をつけたときの高揚感は失われ、「テレビ」は僕の中で確実に「消滅」が進行している。
そうかと思えば、いまだ熱心にテレビを見続ける人もいて、僕にはその気持ちを理解するのが難しい。
逆に、僕は読書を趣味の筆頭に掲げているけれど、世の中には本を全く読まない人が多数いる。
誰の心の中で、何が消えてしまったのかは、外見からはわからない。だから、「消滅」が繰り返されるたび、人々の気持ちは少しずつ離れ、世界は分断されてしまう。
しかし、一方的にものが「消滅」するだけの島と違って、現実には「誕生」という現象も起きる。
心にできた隙間は、また別のもので埋めればいい。「消滅」が大切な人と心を分かつなら、自分たちの手で、新たなつながりを作り出せばいい。
すべてを失っていく主人公に比べて、僕らはなんて幸せなんだろう、と思う。